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日本体育大学レスリング部創部のあらすじ

  • shizuresutadashi
  • 2020年10月11日
  • 読了時間: 2分

日本体育大学レスリング部卒  第1期生 廣澤 巡氏(故)第1代OB会長

 記載者 佐々木禎 (現OBOG会長) 1977年世界レスリング選手権 フリー57kg 金メダル

          

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練習の始まりを創部年度にした

私は、以前から廣澤巡氏が日本体育大学レスリング部の創始者であると静岡県の日体大OBの今川薫氏や小林哲雄氏から聞いていました。

しかし、日本体育大学レスリング部の50周年誌では昭和24年春に創部と記されています。

昭和24年頃、毛内正則氏(青森県)、阿部氏(岩手県・旧姓川村)等が始め、一期後輩の廣澤氏と岩崎三樹氏が引き継ぎ、昭和26年に深沢に移転してからもレスリングの活動をしていた。

私は、日本体育大学レスリング部はどのようにして創部したのか知りたかったので、廣澤氏に直接話を聞きました。

廣澤氏は、昭和23年土浦の予科練の体育専門学校に在学。高校時代やっていた相撲の経験を生かし見様見真似でレスリングらしきことをしていた。

広澤氏は、昭和24年3月体育専門学校を中退し、4月日本体育大学体育学部体育学科に入学した。練習の始まりは、昭和24年2月11日岩崎氏と二人で玄関横の芝生の上で行った。

昭和25年、日本体育大学学友会にレスリング部創部申請した。当時は規約等もなく申請したところ許可され、大学からレスリング部として認められた。

昭和25年荒川清美先生が日本体育大学レスリング部の初代部長になりました。

その年、学友会から部費が捻出され、昭和26年2月26日廣澤氏と岩崎氏が東京「金沢」に出向きレスリングパンツ6着を注文した。3月14日にレスリングパンツが送られてきた。

昭和26年9月に土浦の予科練の体育専門学校から世田谷に移転した。

7月に入って上田氏(福岡県)が練習に参加した。

部員はまばらで特定できる者はいなかった練習場所は玄関前の芝生の上で行ったが、体力作りと投げ技中心の練習のため、筋肉痛と打撲や生傷絶えなく、毎日継続して練習に参加する選手はいなかった。

昭和26年三年生になってから、宮脇氏(二年)、二ノ宮氏(一年)、今川氏(一年)が加入してからまとまって練習するようになった。

日本レスリング協会正式加盟昭和26年(1952年)。

生前、廣澤氏からのお聞きした事をまとめてみました。


 
 
 

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